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【連続ブログ第5回】

2020.10.02

第5回 耳に痛いこと

 それなりに年齢を重ね、教授などという地位に着いて時間が経ってくると、あまり人から面と向かって叱られたり、苦言を呈されることが無くなってきます。一方で、仕事の内容は多岐を極め、ある程度経験で乗り切れる部分もありますが、未経験のこともまだまだ少なくなく、社会情勢や研究環境の変化もあって、対応を間違うと後で痛い目に遭うことになります。そういう中で、自分にとって耳に痛いことを言ってくれる人を周りに持つことは大変重要です。

 正直申しまして、私は自分の先生にはあまり怒られたことはありませんでした。私の出身の研究室は紳士の集まりを旨としており、上の人はストイックに模範は示してくれるけれど、余程でない限りは、若い我々に対しては放任主義で、そういう中で自分の道を見つけていかなくてはいけない、という具合でした。そういう中で教えられたことは、「良き人であること」ということで、それはその後仕事をしていく上で、確かに大変優れた教えであったと思います。

 一方で、その後、私は30代半ばに教授になってから、何度か私の先生ではなかった先生にきつく叱られることになりました。一人は分子神経生物学で有名な N 先生で、私が48歳の時に拠点長を務めることになったプロジェクトの PD でした。それは霊長類に遺伝子改変技術(TG, ウィルスなど)を導入しようとする野心的なプロジェクトでしたが、脳科学にとっては初めてのトップダウンプロジェクトで、私たちも慣れていない点が多く、戸惑いが多くありました。そういう中で私のプロジェクトの進め方にも甘い点もあり、責任感の強い N 先生はそういう私を叱咤しました。時には「伊佐さん、“ええ人”というだけじゃあかんのや」と言われ、本当に震撼しました。また、N 先生のもとで仕事する経験を通じて、「でたとこ勝負」的な生理学者の研究の進め方に対し、あらゆる場合を想定して研究計画を立てる分子生物学者の進め方の違いに触れることができたのは大変有益でした。お蔭様で必死で取り組んだプロジェクトの最後に、サルでウィルスベクター2重感染による経路選択的操作を成功させることができたことが私のその後につながったわけで、N 先生には本当に感謝しています。これは今から10年近く前のことで、脳科学の分野においてトップダウンプロジェクトがどう進められるべきかについてはその後色々な議論があり、そういった経験と関係者の様々な努力があって今日の形に至っているのだと考えています。

 もう一人はやはり分子遺伝学研究者の K 先生です。K 先生はマウスの遺伝子ターゲッティングを日本で最初に始められたうちのお一人でしたが、ニホンザルのナショナルバイオリソースプロジェクト(NBR)を、当時隣の基生研の所長におられて、大変助けてくださいました。その K 先生がいろいろ配慮して進めて下さっていたことを私がポカミスで逃してしまったことがあり、その際には烈火のように叱られました。

 いずれの先生も熱い情熱を持って、自分の弟子ではない私のような者に厳しく接してくださいました。叱られた後も私が再度教えを請いに相談に行くと今度は大変温かく迎えてくださいました。こういうことはなかなかできるものではありません。自分に果たして自分より若い人たちにどういう立場で接することができるのかというのが、その後の私の課題となっています。

 次に「先輩から友人にかけて」という立場では、ニホンザルのナショナルバイオリソースプロジェクトを共に立ち上げ、一緒に引っ張っていただいた T さんです。T さんは私より6歳年長でしたが、とても心が広く、人と人との関係を大事にされる人でしたが、何度か NBR で私が大きな失敗をして、「しっかりしてよ」と随分苦言を言われました。それでも最後まで付き合ってくださる心の広さを持っておられました。3年前に急逝され、いまだに私の心に穴が開いたような状況です。

 その他、自分の研究室の若い人にも、不満を言ってくる人間がいることも重要です。こちらが偉そうにしていると向こうは遠慮して距離を作ってしまいます。物を言えない雰囲気がラボにできることが一番まずいです。勿論「ああ、こちらが間違っていた。ごめん、ごめん」と躊躇なく言えるのが一番良いですが、その場ですぐには首を縦に振らなくとも、いつの間にかそっとやり方を変えていたり・・・なんて言うのも何もしないよりは良いでしょう。どこまでできているかわかりませんが、ここに書いたことを機に再度肝に銘じたいと思います。(伊佐)

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